息子夫婦が子供を学校に行かせません。どうしたら説得できるでしょうか?


不登校の子供You Tuberが話題になったり、体育など特定の授業だけ参加する形で学校に通うお子さんがいたり、日本でも子供の教育が多様化し議論が活発になってきた感じがしますが、カナダでも教育をめぐる価値観のぶつかり合いがあるようです。新聞のお悩み相談コラムを和訳してみました。

The Globe and Mail 3. Mar. 2020より

My son and his wife are keeping their kids home from school. How can I change their minds?

息子夫婦が子供を学校に行かせません。どうしたら説得できるでしょうか?

ホームスクーリングとアンスクーリングには大きな違いがあり、このことは確実に大きな問題になりつつあります。

【質問】 私の息子夫婦は子供を学校に行かせず、そのことについて話し合うのも拒んでいます。義理の娘自身が高校を卒業しておらず、アンスクーリング(学校に行かせないこと、教育を受けさせないこと)が、学校という名の牢獄に閉じ込めずに幸福で工夫に富んだ子供を育てる方法だと決め込んでいるのです。実際に、鎖につながれずただ遊ぶことで彼らが素晴らしい自由を見つけ、何か学びたいと思うものに自然に惹きつけられ、自分で勉強するからということです。少なくともそういう理屈です。結果、彼らは字の読めない7歳児を抱えています。 

 私たち夫婦は大学を卒業しており、教育なしでは孫たちに未来はないと信じています。私は息子とこのことについて話し合おうとしていますが、彼は自分の妻を擁護します。彼女はどんなことでも自分の考えに疑問を持たれると激しく攻撃してくるのです。この状況にどうやって対処したらよいでしょうか? 

回答者:デイヴィッド・エディー(コラムニスト)

【回答】 説明しなければならないことが山ほどありますので、私も腕まくりをして取り掛かりましょう。 

 まず、ホームスクーリングとアンスクーリングの違いについてです。ざっくり言えば、ホームスクーリングは両親の主導によるもので、両親が事実上の教師になるということです。教育課程や教科書があり、両親(つまり教師)は従来の学校教育システムでは手が届かなかったかもしれないほどの高みへと到達させるために、子供たちを教え導いたり(比喩的に)鞭打ったりするのです。 

 アンスクーリングは子供主導だと一般的に考えられています。ただ子供を遊ばせ、彼らが興味のある分野を見つけてそれを追求することを願うのです。アンスクーリングの登録ルールは州によって異なりますが、カナダ全体で合法とされています。多くの場合、両親は毎年9月に教育委員会へ通知か登録をしさえすればよいのです。 一般的にアンスクーリングという概念の父と考えられているジョン・ホルトによれば、「学校とは子供たちが馬鹿になることを学ぶ場所」だそうです。そして彼自身はアンスクーリングと呼ばずに、リビング(生きること)と呼んでいます。 

 私のことは時代遅れな奴だと呼んでください。実際、ここでコラムを終わらせることもできたのです。「私のことは時代遅れな奴だと呼んでください。」ガチャッ、ツーツー。

 多くのウェブサイトが宣伝しているアンスクーリングを象徴する写真では、子供たちがビーチで貝殻やらヤドカリやらを観察しています。そして彼らの頭の上の吹き出しにはこんなことが書いてあるでしょう。「ふーむ、家に帰ってヤドカリの歴史について調べてみようかなぁ。」 

 残念ながら、もし私が自分の子供たちをアンスクーリングしていたら、恐らく彼らは地下室でシューティングゲームで遊んで過ごしていたでしょう。そしてそれに付随する調べものといえば、巨大で攻撃的なヤドカリを倒すには擲弾発射器と火炎放射器のどちらがいいか、くらいなものでしょう。 つまり、「ふーむ、火炎放射器か、どう動くんだろう?」この後グーグルでささっと調べる、これを「宿題」と呼ぶ。 

 またもし彼らをホームスクーリングで育てたとしても、たいした違いはないでしょう。私が彼らと一緒に地下室にいて、こんなことを言います、「おいJJ、もしかしたら攻撃してくる巨大なヤドカリを吹き飛ばすのに一番いい方法はバウンシング・ベティ(対人地雷)かもしれないよ。バウンシング・ベティは地雷の一種で、爆発前に空中に飛び出すって知ってたかい?元々はドイツ人によって発明されて、技術的には『S-mine』として知られていて…」 JJは親指を激しく小刻みに動かしながら、「父さん、黙ってくれる?今ちょっと忙しいんだ。」バーン、ダダッ、バーン、バーン、ブーン! 

 先ほど述べたように、本当に、ホームスクーリングが合う人もいるのです。しかし字が読めない7歳児について話すのであれば、私は厳しいことを書かねばなりません。 

 読むことについては話すまでもありません。字が読めれば何でもできます。医者や弁護士になったり、人間性や歴史について理解したり…。 とにかく、言ったように、話すまでもないことです。私は作家として、あまり読書をしない世代が増えているのを心配していますが、前向きな兆候もあります。 

 私の言うように、容赦なくドラムを叩き、あなたの子供たちへ近づいていくべきです。まるで字の読めない子供を育てる無知な小作人の村に近づく暗闇のように。 

 もし彼らが拒否したら?残念ながら、好きにさせるしかありません。やれることはやったのですから、深呼吸して、あなたが子育てに失敗したのと同じように、あなたの子供たちが自分の子育てに失敗するに任せるのです。ここでは簡略化して紹介しますが、先のイギリスの桂冠詩人であるフィリップ・ラーキンの言葉です。 

題:これも詩であれ 

彼ら、つまり君のお母さんとお父さんは、君を育てるのに失敗した 

そうするつもりではなかったけど、そうなってしまったのだ 

彼らは自分が持っていた欠点で君を満たしてしまった 

そしてただ君のために、更にいくつか付け加えた…人は不幸を受け継いでいくのだ 

それはまるで大陸棚のように深まっていく

… 

子供は持つな 

 しかしそれには遅すぎましたので、今のところ最善の策として、にやっと笑い耐えるだけにしましょう。そして自分自身の問題を心配しましょう。

以上

感想

 子供や孫がいれば教育は最大関心事といってもいいかも知れませんので、質問者が気持ちを切り替えられるかは難しいところだと思いますが、他人を変えようと期待してもたいてい失敗するのはどんなことでも同じかもしれませんね。

 個人的には学校に通うことで家庭よりも広く社会を学べると思いますが、子供が社会のルールを理解し遵守できるだけの力がつくのであれば、学校教育以外の選択肢を選ぶのも悪くはないのでしょう。(相当難しいとはいえ)

 


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